臼井城を目指し、上杉氏が侵出
永禄四年(1561年)に関東管領職に就き、名前も改めた上杉謙信公は、以降上越国境を越えて関東地方にたびたび参陣。永禄九年(1566年)春には下総国小金を経て同年三月臼井城下に着到。
当地域は、陸路としては成田街道、水路は印旛沼が近くにあり、交通要衝として非常に重要な立地であった事から、下総国の支配には欠かせない拠点となっていた臼井城。
臼井城を治めていた原氏は、元々は平安時代に千葉氏から分家した一族で、千葉家の中では家宰(当主に次ぐ地位)を務めている一族。守勢の臼井城主である原胤貞(胤定?)公は、佐倉城主だった千葉介胤富公の援護を得て抗戦の構えをみせた為、臼井城攻防戦に発展。
上杉謙信が臼井城攻めをする際に作った陣城
原胤貞公の抵抗を受けて、上杉謙信公は臼井城の攻略拠点として陣城を築城し、攻城戦を展開する事に。この時築城されたのが謙信一夜城と伝わっています。
住宅地造成前の発掘調査では、空堀や土塁に囲まれた方形の城郭は検出されたようですが、建物の跡や日常生活にかかわる遺物は全く出土しなかったようで、あくまで臼井城攻城用の臨時的な城だった模様。
ちなみに、臼井城の攻防戦は、時の室町幕府将軍の足利義輝公から上杉家へ上洛を促す書状が届き、謙信一夜城築城直後の翌四月に上杉謙信公は越後へ帰国。千葉氏側として戦った原胤貞公の、事実上の防衛成功となりました。
最寄り駅の京成臼井駅からは約400mで、徒歩で6分程度。完全に市街地内の公園となっており、現在は地元の子供たちが遊ぶ場所となっている謙信一夜城。城跡として認識できるのは、公園の名称と、公園の一角に建立された「一夜城史跡」と刻まれた石碑(昭和58年建立)のみとなっています。


ただ、全国的に有名な上杉謙信公が約460年ほど前にこの場所にいたのは確かのようですので、上杉謙信公推しの近郊在住の方、ぜひ一度上杉謙信公と同じ場所を共有してみてはいかがでしょう。


名称:謙信一夜城(一夜城公園)
住所:千葉県佐倉市王子台3丁目12−5
交通:京成線京成臼井駅南口に出て、約400m(徒歩で約6分)
築城:1566年
城主:上杉謙信公
現況:公園(城遺構なし)
管理人訪問日:2025年3月
管理人・さくらもみじのひとりごと

上杉謙信さんの愛用していたものとかがたくさん出土していたら、謙信一夜城ももっと有名な観光名所になっていたかも。

ちなみに、謙信一夜城から約350m、徒歩で約5分のところに、麺屋龍華(リュウカ)という中華料理屋さんがあります。
安くておいしくて量もあるので、管理人が臼井に行ったら絶対に立ち寄るおススメのお店ですよ~☆
参考情報(外部リンク):麺屋龍華(Instagram・インスタグラム)
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